702講義室
2026-07-25 12:35:00
内部表現が崩壊するとき
第2部 脳科学・認知科学から考える現実とは何か
第3章 内部表現はどのように変化するのか
第8回 内部表現が崩壊するとき
はじめに
前回、私たちは人生の大きな出来事によって、内部表現が大きく変化することについて考えました。
卒業式。
結婚式。
家族との別れ。
人生を変えた出会い。
こうした出来事は、それまでの価値観や人生の見方を変え、その後に見える世界を大きく変えることがあります。
しかし、多くの場合、その変化には、それまでの自分との連続性が残っています。
では、それまでの内部表現では、どうしても説明できない出来事に出会ったとき、私たちの内部表現はどうなるのでしょうか。
今回は、その「境界」について考えてみたいと思います。
境界の内側
人は長い時間をかけて、自分なりの世界の理解を築いています。
学校で学んだ知識。
社会の常識。
家族から教えられた価値観。
そして、自分自身が経験してきた出来事。
それらを積み重ねながら、
「世界とは、このようなものである」
という内部表現を形成しています。
卒業や結婚、人生を変える出会いなどは、その内部表現を大きく変化させます。
しかし、それまで積み重ねてきた経験が失われるわけではありません。
古い内部表現の上に、新しい経験が積み重なり、世界の見え方が少しずつ変わっていくのです。
これは、内部表現の更新と考えることができます。
境界の外側
では、それまでの内部表現では説明できない出来事に出会ったら、どうなるのでしょうか。
しかも、その出来事を、本人が現実として受け入れざるを得なくなったらどうでしょう。
それまで正しいと信じていた知識では説明できない。
否定しようとしても、自分自身が体験した現実として受け入れざるを得ない。
その瞬間、それまで世界を理解するために使っていた内部表現は、大きな矛盾を抱えることになります。
ここで起こるのは、知識の追加ではありません。
一部の修正でもありません。
それまで世界を支えていた枠組みそのものが、成り立たなくなるのです。
私は、ここに内部表現の変化を考える上での、一つの境界線があるように思います。
境界の内側では、新しい出来事を、これまでの内部表現の中へ取り込むことができます。
しかし、境界の外側では、新しい出来事そのものが、これまでの内部表現を否定してしまいます。
そこで起こるのは、内部表現の更新ではなく、
内部表現の崩壊です。
新しい現実
認知科学者の苫米地英人博士は、オウム真理教の信者に高学歴の人々が含まれていたことについて、内部表現の書き換えという視点から考察しています。
ここで重要なのは、高学歴だから洗脳されやすいということではありません。
長い時間をかけて築き上げた世界理解ほど、それでは説明できない出来事に直面したとき、その衝撃もまた大きくなる可能性があるということです。
物理学や化学を学び、科学によって世界を理解してきた人が、その知識では説明できないと本人が信じる現象を目の当たりにする。
しかも、それを錯覚や虚偽として退けることができず、自分自身の現実として受け入れざるを得なくなる。
その瞬間、それまで世界を支えていた内部表現は崩れ始めます。
そして、人は新しい現実を理解するための、新しい枠組みを必要とします。
そこへ、それまで説明できなかった出来事を説明できる新しい世界観が示されたとき、人はその世界観を受け入れる可能性があります。
古い現実が崩れたあとに、新しい現実が再構成される。
それは知識の追加ではありません。
世界を判断する基準そのものが入れ替わる、
内部表現の書き換えです。
これまで大切だと思っていたものが、突然、価値を失う。
これまで疑いもしなかった常識が、偽りに見える。
反対に、それまで考えたこともなかった価値観が、絶対的な真実として感じられるようになる。
それまでの内部表現が成り立たなくなれば、それまで見ていた現実もまた、成り立たなくなります。
まさに、
音を立てて現実が崩れるのです。
そして、その崩れた場所に、新しい内部表現が築かれていきます。
おわりに
前回考えた人生の大きな出来事は、内部表現を変化させ、その人が見る世界を変えます。
しかし今回考えたのは、それまでの世界理解との連続性を保てないほどの変化です。
これが、内部表現の更新と書き換えを分ける境界線なのではないでしょうか。
では、内部表現が書き換えられると、何が起こるのでしょうか。
変わるのは、単に考え方や性格だけではありません。
世界の中で何を重要だと感じるのか。
何を正しいと判断するのか。
何に価値を見いだすのか。
何を現実として受け入れるのか。
その評価の基準そのものが変わります。
もし内部表現が書き換えられるのであれば、私たちが見ている世界そのものも変わることになります。
つまり、現実そのものが変わるということです。
次回は、この「評価の基準」に注目し、なぜ内部表現が変わると現実そのものが変わるのかを、さらに深く考えていきたいと思います。
