芸術論講義室
2017-02-05 10:47:00
前提条件付き真理?ってなんだ
この世は、人間の作り事でしかありません
「目の前にある物質は、確かにそこに存在する」
誰の目にも疑いようないこの現実は
ハイゼンベルクの不確定性原理によって否定されました
「数学は、自己完結した絶対的システムである」
つい数十年前まで、そう信じられてきた数学は
ゲーテルの不完全性定理によって否定されました
物理学においても、数学においてさえも
前提ありきの世界でしかなかったのです
ユークリッドは、『原論』の中で公準が真理だとは書いていません
「これら5つの事柄が真であると要請する」と書いているだけです
つまり、何事においても仮前提から始まっているのです
宗教の世界は、神の存在とか、悟りの世界があるとか
その強制的な前提の上にしか成り立たない世界です
現在の私たちが生きているこの世界においても同様です
誰かが創作した社会思想・制度上の世界でしかありません
その誰かにとって都合のいい前提上のものでしかないのです
ハイゼンベルクもゲーテルもまた、何かの前提の上でしかなく
その前提の行きつくところが神であれば、永遠に真理などない
真理は、信じることによって初めて真理なのです
つまり、嘘っぱち・・・・・
2017-02-04 07:39:00
仏教は生きている
約2600年前、古代インドにおいて仏教が生まれました
仏陀本来の教えをオリジナル仏教とすると
仏陀入滅直後、500人の阿羅漢による結集が行われ
編纂された原始経典が出家仏教である小乗仏教です
仏陀入滅500年後に民衆仏教である大乗仏教が生まれ
紀元7世紀頃になると、さらに土着化し密教が現れます
大乗仏教で原始仏教50%+ヒンドゥー教50%
密教になると原始仏教10%+ヒンドゥー教90%
その後、仏教は中国を経て朝鮮、日本へと伝わります
道教、儒教、日本においては神道などと融合を重ねつつ
長い時間をかけ仏教は大きく変化を続けることとなります
いいように言えば
継続性を持って変化し続ける思想、仏教
仏教とは何なのでしょうか
2017-02-03 08:58:00
天才的異端児 親鸞
聖道門とは
自力の行に励み、この世で悟りを開く事を目指す聖者の道
浄土門とは
念仏を称えて来世に浄土に生まれ、悟りを得ようとする凡夫の道
比較するまでもなく、聖道門の方がいいに決まってます
がしかし誰にでも出来ることではありません。それでは
学問も修行もできない庶民はどうすればいいのでしょう
結果として、救われたらいいわけですから
何もかも極める必要はないということです
苦肉の策として、法然が説いた教えが浄土門で
南無阿弥陀仏と称えるだけでOKにしましょうよ
っていう話だった
だったはずがやっちゃいました
親鸞においては念仏さえも必要なし
仏を自ら信じる必要すらないという
究極にまでデフォルメしてしまいます
いやはや
絶対的な存在である神仏を前提とする哲学において
絶対他力こそが宗教の結論に達したということですか
合 掌
2017-02-02 08:18:00
他力と自力
自力であろうが、他力であろうが
どうでもいいのです
仏教とは仏様の救済システムです
自力と他力はどう違うのか?
自力とは「猿のシステム」
子ザルに危険が迫ったとき
母ザルは子ザルを抱いて逃げます
この時
子ザルは母ザルにしがみつきます
これが自力です
他力とは「猫のシステム」
子ネコに危険が迫ったとき
母ネコは子ネコをくわえて逃げます
この時
子ネコはおとなしくしてるだけです
これが他力です
結局、母親が助けてるだけなのです
結局、人間は無力ということでしょうか
2017-02-01 11:37:00
異端の教え
南無阿弥陀仏
念仏を称えても幸せにはなりません
病気も治らなければ
商売繁盛もしません
試験も合格しません
願いはかないません
極楽往生
死んで極楽浄土に生まれかわるのみ
念仏を称える必要もありません
念仏は称えさせてくれるのです
仏様を信じる必要もありません
信じさせてくれるだけのことです
他力本願
およそ、この世のはからいごとなど
空言、戯言、何の意味もないのです
ただ阿弥陀如来におまかせするのみ
今、このままが救われた自分なのです
自然法爾(じねんほうに)
あるがまま、そのまま
